16ページ目~生きることを諦めた後に生きる今~
「みかんさん!分かりますか?病院ですよ!」
目を開けた時に天井で眩しく光る電球。
その時私は、「死ねなかったんだ」と思うと同時に、勝手に涙が出た。
3月3日、正午。
私は死ぬことを決意した。Amazonで買っていた道具が届くと、すぐに準備をして、実行した。
Amazonで注文した時の気持ちはと聞かれると、何も無かった。ただいつの間にか購入していた。
煉炭自殺に睡眠薬を追加して、眠っている間に死のうとしていた。だけど、失敗した。
睡眠薬の効くタイミングと、練炭に火をつけるタイミングが上手くいかなくて、最初が少し苦しかった。
段々意識が朦朧としていく中で、私はなぜか携帯で119を押していた。その後、「119番です。救急ですか。消防ですか」という男性からの声を聞いた後に意識が無くなった。
その後の記憶は、恐らく救急車の中。強く肩を叩かれ、男性が何か大声で喋っていた。その後、また意識が無くなって、次の記憶は病院。動脈注射の痛みで目が覚めた。その時に、自分は自殺を失敗して病院に運ばれたんだと、すぐに状況が分かった。
動脈注射と酸素マスクと管を入れられた後、私は処置室から救命救急センターに運ばれた。その時も意識は朦朧としていて、1人の看護師さんが「患者さん入られます。19歳の大学生です」と言った後、別の看護師さんが「19歳…若いな。どうしてこんなことを…」というやり取りが少し聞こえた。
救命救急センターに居た時の私は、右手は動脈注射、左手は水分補給の注射、両足は24時間動くマッサージ機、口は酸素マスク、下半身はオムツと管。腕の周りには色んなコードが巻かれていた。数時間おきの血圧、脈拍、血液検査。熱も中々下がらなかった。(コロナでは無かった)
約1時間煉炭を吸い、一酸化炭素中毒を起こした意識不明の状態で運ばれたそうだ。
医者や看護師からは、「一酸化炭素中毒を起こしていて数値も高く、あと少しで本当に危険な状態だった」と何度も言われた。
だけど、今の私に残ったのは、"死ねなかった"それだけだ。
こんなことを聞く失礼な人間では無いけれど、心の中では思った。
"どうして助けたのか"と。
なんで119を押したんだと、強く自分を責めた。
その日は声が出せなくて、誰とも話せなかった。話したくなかった。家族も、病院からの連絡で駆けつけてくれたが、顔すら会わせたくなかった。こんな惨めな姿を、見せたくなかった。
1人きりになる夜は、涙が止まらなかった。今も、思い出すと泣いてしまう。
入院して次の日には一酸化炭素濃度も低く、落ち着いていて、その日の夕方に退院出来た。
1泊2日しかしていないが、とある看護師が「大丈夫?」と私に聞いた。私は頷いたが、それと同時に「うん、大丈夫じゃないよね」と看護師が言った。その看護師に、ありがとうも言えないまま退院した。
私の家族が迎えに来てくれて、しばらくは姉の家にお世話になっていた。
周りの人間は、私に"どうしてこんなことをしたのか"と尋ねることは無かった。気を使ってなのか、必要以上の会話もしなかった。
そんな時、私の心を癒してくれたのは、5歳の姪っ子だった。
久しぶりに会えたのがこんな形になってしまったのは申し訳なかったけど、姉が姪っ子に「しばらくみかんはうちにいるよ~」と言うと、恥ずかしげにすごく喜んでくれた。
だけど、一緒に遊んではくれるが、お風呂も歯磨きも一緒に寝ることも、私とはしないと言った。
どうして?と聞くと、「みかんちゃんは今元気じゃないから、元気になったらしてもらうの!」と言っていて、本当に、この子は優しくて可愛くて、まだ小さいのに心配をさせてしまって、自分が情けなくて涙が出てしまった。
県内でも有名な精神科病院に紹介状を書いてもらい、その病院の通院日までは姉の家でお世話になり、数日後、精神科病院に行った。
1時間の診察をした後、任意入院で入院することになった。その為に様々な身体検査をした。その時、1年ぶりに体重を測ると、1年で20キロも痩せていた。食べるものが無かった時期やストレスが関係していたのか。自分でもびっくりしたし、姉家族からも心配された。
そのまま閉鎖病棟で10日間を過ごした。途中から部屋から出られない、携帯が使えないなどのストレスが出てきて、主治医からの許可ももらえて、閉鎖病棟からストレスケア病棟に移動出来た。
ストレスケア病棟は、認知症の高齢者だけでなく、仕事で疲れたような中年男性女性や、春休みを使っての入院か、学生等の若い人もいる。
一酸化炭素中毒になった人は、1~2ヶ月後に脳の一部などの容態が悪化することがあるため、毎日数時間おきの血圧と脈拍を測ることが欠かせない。
右手首の動脈注射の痕、血管の内出血の黄色いあざは1ヶ月は残ると言われ、最近は右手首がたまに痛む。
痛みを感じる度に、あの日のことを思い出してしまう。死ぬことを決意したはずなのに、今を生きている。自分の中ではすごく色んな感情がごちゃ混ぜになっていて、上手く表現が出来ないし、伝えることが出来ない。
少なからず思う人はいるだろう。
"どうして自殺なんかしようとしたのか"と。
結論から言えば、大学中退と恋愛のいざこざだ。
本来ならば、中学二年生の時に死んでいるはずだった。
私はずっと、学生生活が辛かった。過去のブログにも書いてあるが、私はいじめ、セクハラ、体罰、差別、パワハラ、たくさんのことを学校で経験した。
小学一年生の時に受けた体罰から、私の楽しくない学校生活は始まっていたのかもしれない。
大学こそはと、たくさん頑張って合格し、期待を膨らませて入学をしたが、半年でパワハラを受け、退学を決意。
テレビをつければ、合格し喜ぶ生徒たちの姿、SNSを見れば、卒業、入学の写真。見る度辛くなった。
大学を退学することにしたと伝えると、周りから嫌という程言われた「もったいない」の言葉に、毎日憂鬱だった。親にも、病院の先生にすら言われ、誰も私の辛かった気持ちを理解しなかった。
もったいないと自分でも分かってる。貧しい家庭に生まれて、大学に行けると思ってなかったのに、推薦や学費免除で安い費用で大学に行けられた。たった半年だったけど、色々と勉強することが出来た。それには本当に感謝している。でも、もったいないのに退学せざるを得ない状況下だった私のことを、誰1人配慮してくれなかった。
私には、心から大切だと思う人がいた。
詳しくは綴らないけれど、その人と関係を断ち切った。
今回の件に関するのは、関係を断ち切った後の出来事だった。最後だからと、「今までの不満を全て言わせてもらう」と、私が号泣していたのに不満の言葉は止まらなかった。「もうやめて」という私の言葉を聞き受けず、私はずっと責められる言葉を受けた。
また、SNSを開けば、向こうの親しい人らが「あの女と別れてよかったんじゃないか」等と私を批判する言葉が耐えなかった。
別れるきっかけとなった理由は、全部が全部私ではなかった。関係を断ち切って、私は新しい人生を歩んではなかったが、向こうは向こうなりに歩んでいた。もうそれでいいじゃないかと、そう思った。だけど、自殺を試みる前日まで、好きという言葉を言われたり、毎日電話がかかってきたり、私は、毎日が辛かった。
必要事項の確認があったため、連絡手段を遮断することが出来なかった。だが、その必要事項以外は連絡をしてこないでほしいとお願いしていた。それでも、生きているかの確認が目的か、暇だったのか、毎日電話が鳴り響いていた。
大学でハラスメント問題となった教授が、講義中にとあることを話した。
"私は、誰かから相談を受ける時、必ずお金を取ります。スクールカウンセラーや学生相談室など、無料で話を聞いてくれる施設はありますが、私からしたら考えられません。人に相談をする時、聞く側にもストレスはかかります。それなりの報酬を得ないといけないのです"と。
私はこの言葉を聞いた時、今まで自分が相談していた全ての人達に"申し訳ない"という感情と、"もう誰にも相談出来ない"と心の扉を自分で閉めてしまった。
それがきっかけで、心療内科や友達にさえも、何も話せなくなって、誰かに話を聞いてもらいたいはずなのに話せなくて、数ヶ月間辛いことをどんどん溜め込んでしまった。
その結果起きてしまったのが、今回の煉炭自殺だった。
今回私がいけなかったのは、誰にも相談しなかったことだと言われた。だけど、私の悩みや相談は決して誰かに話すことで解決する内容でもなく、私の事情もあった為、知らないから言えるような言葉や浅はかな聞き手の意見は逆効果でもあった。だから、私は自分一人で考えて、自分なりの行動を取り、何かあっても自分が責任を取ればいいのだと、"自分一人で"という考えに染まっていた。
だけど、今回の煉炭自殺や入院を経て、その考えが変わった。
決して誰もが、人の相談を聞いてストレスが溜まることや疲れてしまうわけではないということ。人の相談を聞くことが好きな人もいる。最初から話すことを諦めるのは違うなと、気づくことができた。
心と体の回復や今後のこと、まだまだ時間はかかるだろうが、少しずつ、ゆっくり、頑張っていこうと思う。
明日が来るのが怖い今日、生きることを諦めたのに生きる今日を、今日も生きているんだな…と思わずに、生きていて良かったと思える日が来ることを、密かに願っている。
15ページ目~ハラスメントと向き合う。同業者としての務めとは。~
「同業者として、このような出来事が起きてしまって、大変申し訳ございませんでした。」
そう告げたのは、私が大学教員からハラスメントを受けてしまい、誰かに相談したい思いで行った学生相談室のカウンセラーさんだ。
こんなこと、決して起きてはいけない出来事なのは確かだ。
自宅からリモートで授業を受けられ、授業資料なども配布してもらえる内容の支援だ。
とある講義をリモートで受けた時、教員から言葉の暴力、いわゆる"ハラスメント"というものを受けてしまった。
それは、何度思い出しても辛くて泣いてしまうほどの出来事で、言われた言葉を一語一句明確に覚えている。録音もしてある。
その出来事が起きてから、私は1週間家に引きこもってしまった。
バイトも1週間休み、人に会うことや大学に行くことが怖くなった。
食欲もなくなり、精神状態も悪化してしまい、精神安定剤を変えてもらったり、食欲を出させる薬も飲んだ。そこまでしないと、本当に何も食べる気になれなかった。
そんな中、私は大学の学生相談室という場所のホームページを開いていた。
今回の件がハラスメントになるのか、私はこれからどうしていけばいいのか分からなかった。しかし、病院の先生や、周りの人々から学生相談室に行くことを勧められ、予約の電話をした。
そして、勇気を出して、大学に行った。
久々の外。久々の景色。
人気の少ない建物の中にある学生相談室。
そわそわしながら中に入ると、カウンセラーさんが招いてくれた。
第一印象は、優しそうだった。
その先生に、今回の出来事を全て話した。
涙が止まらなかったが、それでも最後まで話した。
すると、先生は私に「まず、今回件は完全にあれです」と言いながら指を指した。指した先にあったのは、ハラスメントのポスター。
私は、「そっか。やっぱりハラスメントか。」と、すぐに理解できた。
そして、そのまますぐハラスメント委員会に連絡をしてくださり、後日、また話し合いをすることになった。
その日、カウンセラーの方から言われた言葉に救われ、これから私は戦わなくちゃいけないのだと決心がついた。
そして、カウンセラーの方から言われた言葉を今でも忘れない。
「同業者として、このような出来事が起きてしまって、大変申し訳ございませんでした。私から謝罪をさせて頂きます。今回の出来事は、決して起きてはならないことです。そして、彼らは公認心理師、臨床心理士の資格を持っている、いわばプロフェッショナルです。そんな人達が、あなたの心に傷をつくった。本当に申し訳なかった。」
先生は、跪き、私の目を真剣に見ながら言った。
私は、どうして謝罪するべき当事者ではなく、同業者としての役目をきちんと果たしている人から謝罪をされないといけないのかと、怒りと疑問でいっぱいだった。初めて会ったが、その方はきちんと人の心に寄り添っている人だと私はすぐにわかった。
先生は、「私はハラスメントの担当をすることが出来ないけれど、みかんさんのサポートをこれからもしていきたい。もちろん、ここに来なくても電話やリモートでもいいです。ゆっくりでいいです。また私とお話をしましょう。」と言ってくれた。
その後、学生相談室を出て、私はハラスメント委員会の方と一緒に戦うことを決意した。
14ページ目~8月31日の夜に~
8月31日の夜になった。
私は、また5年前のことを考える。
5年前の今日、私は母親に不登校になることを伝えた。
小学校、中学校、高校でいじめを受けた中で、中学校で自分の中での"限界"が訪れた。
9月1日からまた学校に行きたくなかった。怖かった。
またいじめられる。また見て見ぬふりをされる。また笑われる。明日のことを考えるだけでお腹が痛かった。涙が止まらなかった。
偽善者の中によく、"いじめられる側にも原因がある"という言葉を言う人がいるが、それは人の命を落とさせるほどの原因なのだろうか?
そんな原因など、この世に存在しない。
既に学校が始まっている人もいれば、明日から学校が始まる人もいる。
"学校に行きたくないなら行かなくていい"と、無責任な発言ができる立場ではないけれど、学校に行きたくないけど頑張って行ってる人、学校に行きたくなくて不登校になってるけど頑張って生きてる人、全員に伝えたいことがある。
不登校になることが、決して悪いことではない。
いじめが原因で不登校になった時、"逃げた"と言う人達はどうかしている。
逃げたのではなく、自分の命を守ったのだ。
世の中には、いじめが原因でこの世を去った人達が多くいて、8月31日はその人たちが最も多くいると言われている。その中で、いじめが辛くて何度も何度も死にたいと嘆く人もいる。
いじめは、不登校になれば解決する問題ではない。だが、不登校になるということは、自分を苦しめる偽善者たちと会わなくて済む、そして自分の命を守る最善の方法なのだ。そんな人たちのことを"逃げ"だと言う人たちは、偽善者たちと同じだ。
毎年、8月31日が来ると、私はいつも考える。
学校に行くのが楽しみで仕方のない人間、学校に行くのが怖くて堪らなくて、遂には命を落としてしまう人間、自分の命を守るために不登校の決断をする人間、多くの子供たちがいる。
私は、自分自身の限界が来て、想像したくない出来事が起きてしまう前に、自分の身を守って欲しいと思っている。
過去に数回自分の命を落とそうとし、失敗した。自分の命を何度も捨てようと思った私だからこそ今言えること。
8月31日の夜に、考えたこと。
13ページ目~私が私で居続けることの意味~
私は、8月31日が近づくほど嫌になる。
8月31日は、子供の自殺件数が最も多い日。そして、私も過去にその仲間入りをしようとした1人。そして失敗した1人。
夏休みが終わりに近づくほど、「学校に行きたくない」「学校に行くのが怖い」っていう気持ちになる人がほとんどだと思う。そして、不登校や引きこもりに繋がる。私も、夏休みの最終日の夜、親に不登校になることを告げた1人。もともと受けてたいじめに耐えきれなかったのもあるが、なにより、人の視線、教室を開ける扉、何もかもが怖くなった。
学校に行けない代わりに、学校に行けるようにするのが目標の施設に通ったが、そこではセクハラ。
セクハラに耐えきれず学校に行ったが、今度はいじめと体罰。
どちらにも行かず家にいれば、虐待。
私の安心で安全な居場所は無かった。
中学生の時、何度も考えた。
死んだ方が絶対楽だと。死んだら楽になれると。
そして、何度も死ぬことばかりを考えていた。
だけど、死ねなかった。
世間では、「みんなしんどいけど頑張って生きてる」「しんどいのはお前だけじゃない」などの言葉を使う人がいるが、しんどい思いをしてでも生きる意味とは何なのだろうか。そこまでして、生きる必要はあるのだろうか。そういうことを言う人は、今なぜ、何のために生きているのだろう。疑問でしかなかった。
そして思った。私は生きる必要があるのだろうかと。
毎日、私が死ぬことを望んでいる家族がいた。クラスメイトがいた。ならば、その人たちの望むことを叶えてあげたかった。夢の中でも、いじめられていた。虐待されていた。せめて夢の中だけは幸せでいたかった。とにかく死にたかった。
なのに、今こうして生きている私がいる。
私が経験したことは、決して辛くなかったわけではない。そして、何度も何度も生きることを諦めたはずの私が、こうして生きる道を選んだことに対しても、必ず武器になると。みかんさんは、自分と同じ経験をした子を救うことができると言われたことがある。
私は医者や看護師になって人の命を救う仕事をしたいわけではない。だけど、命を落とそうとしている子供に寄り添って、その子の命と、こころを救うことならしたい。いや、するんだ。
青春時代を地獄のような出来事で埋め尽くされた人生。だけど、私は今幸せを感じることが出来てる。誰かから愛されることを実感できてる。人の温もりを感じることができてる。
私は殻の中から出て、新しい人生を歩んでいる気がしてる。
何のために生きているのか。それは今でも分からない。だけど、私が私で居続けることの意味はわかった気がする。
私は、生きることで、自分が自分で居られている気がする。当たり前すぎて、何を言っているのだろうと思われるかもしれない。
それでも、自分の中では、この答えがはっきりしていた。
後悔する生き方ばかりしてきたけれど、後ろばかりを向くのではなく、前を向いて生きていたい。
私は私らしく、私が私で居続けられるように今を生きるーー
12ページ目~うつ病と向き合うと決意~
4月、18歳から成人として扱われるようになって、自分の意思で精神科の病院に行った。
初めての精神科の病院。
成人女性やおばあさんばかりで、男性はあまり見かけなかった。
初診で質問項目がたくさんあり、その後に院長との診察。
これがあれば、生活も落ち着く。そう思ってた。
でも違った。
5月。うつ病と診断。
私は障がい者として扱われるようになった。
日々の大学。日々のバイト。日々の家事。
何もかも、私が望んで選択した生活なのに、全てを平等に出来なくなった。
「全てを完璧にしなくてもいい」
どこかで聞いた言葉だが、私は中途半端にしたくないから、自分が納得するまで全てをこなしたい。
でも、体と心が追いついてくれなくて、言うことを聞いてくれない。
欠席届を何枚書いただろうか。
覚えてないくらい、たくさんの欠席届を書いた。
そして、何度もチューターの先生にサインをもらいに行っては少し話をした。そして、泣いた。
朝起きることが出来なくなって、起きたらとっくに家を出ないといけない時間。
起きないといけないのに体が起き上がれない。
そうしていると、また眠りについてお昼過ぎに起床。
もう、疲れたとしか言えなくなった。
だけど、周りに迷惑をかけたくなくて、頑張って笑顔でいたいと思ってる。
バイト先で仲良くしてくださってるパートのおばちゃんたちに、「あなたの笑顔を見ていると疲れが吹っ飛ぶ」「あなたの笑顔が私は大好き」って言って貰える。
私なんかの笑顔で誰かが幸せになってくれるんだ。
それなら笑顔でいよう。にこにこしよう。
6月18日。
私は19歳になった。
正直、自覚はない。来年で20歳ってことも。
振袖、成人式、何も準備してない。
いや、してないんじゃなくて、出来てない。
6月24日。
今日も起きられなかった。
だけど、せめてお昼からは…と思い、なんとか起き上がって、メイクして、着替えて、食パンを食べて大学に来た。
今日は障害者支援を大学から受けさせてもらいたくて、とある先生の部屋に訪れた。
その時、チューターの先生もその部屋にいて、「今日も昼から来たの?」と聞かれ、「はい」と答えた。
そうすると、チューターの先生はスマホをいじりながらこう言った。
「うわ、また俺欠席届のサインしないといけない?めんどくせー」
これは、冗談で言ってるようには感じられなかった。
何枚書いたか覚えてないくらい、多くの欠席届を書いたのが証拠。何回も何回もチューターの先生のところに行ってはサインをもらい続けた。そりゃ先生も疲れる。
私が朝起きられないから。私が大学を休むから。だから先生も疲れる。
本当に申し訳なくなった…私なんか、大学を辞めるべきなのではないかと、そう思った。
なんならいっそのこと…いややめよう。
私は今、泣きながらもスマホを握りしめてこの文章を綴っている。
一人暮らしも、大学も、バイトも、家事も、勉強も、何もかも自分で決めた道なのに、それが今は全く出来ていない。どうしようもない人間。
このままだと、私の周りから頼れる人がどんどん消えていってしまうと思う…。
少しでも、私のことをわかってくれる人がいてくれることを願いつつ、終わりの文章に綴る。
11ページ目~毒親について~
最近、Twitterを見ていると、「親うざい」「親死んで欲しい」などのツイートが流れてくる。
今の現代社会、暴力や暴言、過干渉などで子供を支配し、子供に悪影響を与える「毒親」と呼ばれる親が増えてきた。
それによって、子供たちに精神的苦痛やストレスが与えられる。
もちろん、毒親ではなく、たまたま親の行動に腹が立ち冒頭のツイートをする子供もいるだろう。
しかし、私が今気になっているのは、なぜ毒親と呼ばれる親が最近増えてきたのかということだ。
とある精神科医の記事を読んだ。
最近は、「条件付きの親子関係」が増えてきていると。
例えば、テストで高得点を取ったり、習い事で優秀な成績を収めるなどの、「親が自分の子供を認めるのに条件が必要」ということだ。
その際に、自分の子供がテストで悪い点数を取ったり、習い事で優秀な成績を収めることができなかった時、毒親と呼ばれる親は子供に何をするだろう。いわゆる、「どうしてあなたはこんなにダメなの?」などの、ドラマで見るような王道な言葉を言うのか。それとも、子供に暴力を振るうのか。
考えただけで悲しくなる。
子供は、周りから全肯定されるべきなのだ。
「生まれてきてくれてありがとう」と思われるのが当たり前。
もしテストで悪い点を取ってしまった時は、「そんな時もあるよ。次はがんばろう」と背中を押してあげる。
もし習い事で優秀な成績を収めれなかった時は、そっと背中を押してあげ、手伝えることは手伝ってあげる。
こういうことができる親が今の世の中急激に減り、毒親と呼ばれる人間が増えてきている。
大人だって、仕事や家事で上手くいかない時がある。そんな時に背中を押してくれたり、何かしらの言葉をかけてくれる人が周りには必ずいるはずだ。
しかし、子供にとって、そんなことをしてあげられるのは世界中で親だけなのだ。
悪いところだけ叱るのではなく、良いところもしっかりと褒めてあげる。
コロナ禍で生活も大きく変わってしまった人もいるはずだが、これは親としてコロナ関係なく、してあげなければいけないことなのではないのか。
自分では気づかず、いつの間にか毒親になってしまっている人もいるだろう。
そんな時は、周りの人間が気づいて声をかけてあげることも大切なのだ。
子供に毒を与える毒親ではなく、子供に愛を与える親が増えて欲しいと、私は今日も思う。
10ページ目~一人暮らし~
目を覚ますと、人の声は聞こえない。家族の声も。
2月中旬から私は遂に一人暮らしを始めた。
暴力暴言を奮っていた兄と、虐待をした母親から遠くに逃げることが出来た。
今は、4月からの大学生活に期待しながら新しいバイト先で一足先に働いている。
初めての洗濯も慣れてきた。お皿洗いも部屋の掃除も、それなりに頑張っている。
ただ、私が今不安なのはお金だ。
家族からの仕送りは無い。以前は仕送りすると発言していた母親だが、兄が車を買うと言っていておそらくそっちの方にお金を回しているんだと思う。
兄は現在母親とアパートに暮らしながら看護学校に通っている。
私が生きていく生活費よりも、兄の車のお金の方が大切なんだろう。
私が一人暮らしを始める時に持っていたお金は約10万円。
その10万円の中に、新生活に必要な物、携帯代、食費、来月の家賃、光熱費諸々が含まれていた。
しかし、私は甘く見ていたのかも知れない。
あらゆる所でお金は思った以上に必要になっていて、私は今月の光熱費が払えない状態、そして翌週からの食料が買えない状態にまでなっていた。
バイトはもちろんしているが、月末で正直厳しかった。
姉夫婦から、「食べるものが無くなったらいつでも食べに来ていい」と言われていたが、一人暮らしを始めて1ヶ月で頼る訳にはいかない。
もちろん、兄と母親が住んでいる実家にも頼りたくない。
頼りたくないというより、頼れなかった。
逃げるように一人暮らしを始めた私が、家族にお金や食べ物を強請ることは出来なかった。
また、文章では簡単に「お金と食べ物が無い」と言えるが、現実で人にその言葉を発することが私には出来ない。
そして、毎晩泣く日々が続いた。
泣いてもお金は増えない、それは分かっている。だけど私には泣くことしか出来なかった。
そんな私を助けてくれたのは、付き合ってもうすぐ8ヶ月の彼氏。
彼は私よりも年下だが、私にプレゼントや食べ物、お金を与えてくれる。でも、私は彼に今回のお金の話をすることが出来なかった。怖かった。家庭が貧乏なのも、家庭の事情も教えてはいたが、大切な人に「お金が無い」と困らせる言葉を言うのが出来なかった。
それでも、毎日している平和な通話で私は伝えようと決意をした。その時、言葉を発する前に涙が溢れてきた。
助けて、お金が無い、食べるものがない、こんなことを言ったら嫌われてしまうのではないか。とにかく不安だった。
それでも、「ゆっくりでいいから教えて欲しい」と言われ、泣きながら話をした。
その後、彼と色々話し合った。
実は3月の下旬に、2ヶ月半ぶりに彼とデートをすることになっていた。ずっと前から計画を立て、とても楽しみにしていたが、現状のことを考えて9月に延期をした。6月はお互いの誕生日で、7月は1年記念日。でも私にお金が無いせいで、全てがめちゃくちゃになってしまった。
遠距離恋愛で簡単に会うことが出来ないが、8ヶ月ぶりに会える9月までの日々の日常を頑張りたい。
そして、彼から6万円借りた。
大金という2文字では表せない額なのは分かっている。なのに、彼は6万円を振り込んでくれた。
私は「ごめんね」としか言えなかった。
もし私の家庭が裕福だったら。仕送りが少しでもあれば。こんなことにはならなかった。
彼からお金を借りたことによって、彼の知り合いから恋愛詐欺なのではないかと疑われた。
もうそんなこと言われても何も言い返せない。
周りからみると、たとえ「お金が無い」と泣きながら助けを求められたからと言っても恋愛詐欺ではあるあるのことなのかもしれないし、私のことを良く思っていないかもしれない。
私は今回のことで、1つ分かったことがある。
それは、人は1人では生きられないということだ。
人は必ずしも何かに頼りながら生きている。
頼らないと生きていけないのだ。
私の日々の目標は、「今日を生きる」こと。
当たり前の目標だと思わないで欲しい。世の中には、様々な理由で自ら命を落としてしまう人もいる。そんな世の中で、生きることは当たり前なんかじゃない。
辛いことも、楽しいことも、悲しいこともある。上手くいかない日もある。だけど、それでも私は生きたい。
新しい環境での一人暮らし生活。とにかく毎日が不安。だけど、それでも、
私は今日も生きたい。