13ページ目~私が私で居続けることの意味~

私は、8月31日が近づくほど嫌になる。

8月31日は、子供の自殺件数が最も多い日。そして、私も過去にその仲間入りをしようとした1人。そして失敗した1人。


夏休みが終わりに近づくほど、「学校に行きたくない」「学校に行くのが怖い」っていう気持ちになる人がほとんどだと思う。そして、不登校や引きこもりに繋がる。私も、夏休みの最終日の夜、親に不登校になることを告げた1人。もともと受けてたいじめに耐えきれなかったのもあるが、なにより、人の視線、教室を開ける扉、何もかもが怖くなった。


学校に行けない代わりに、学校に行けるようにするのが目標の施設に通ったが、そこではセクハラ。

セクハラに耐えきれず学校に行ったが、今度はいじめと体罰

どちらにも行かず家にいれば、虐待。

私の安心で安全な居場所は無かった。


中学生の時、何度も考えた。

死んだ方が絶対楽だと。死んだら楽になれると。

そして、何度も死ぬことばかりを考えていた。

だけど、死ねなかった。


世間では、「みんなしんどいけど頑張って生きてる」「しんどいのはお前だけじゃない」などの言葉を使う人がいるが、しんどい思いをしてでも生きる意味とは何なのだろうか。そこまでして、生きる必要はあるのだろうか。そういうことを言う人は、今なぜ、何のために生きているのだろう。疑問でしかなかった。

そして思った。私は生きる必要があるのだろうかと。

毎日、私が死ぬことを望んでいる家族がいた。クラスメイトがいた。ならば、その人たちの望むことを叶えてあげたかった。夢の中でも、いじめられていた。虐待されていた。せめて夢の中だけは幸せでいたかった。とにかく死にたかった。


なのに、今こうして生きている私がいる。


私が経験したことは、決して辛くなかったわけではない。そして、何度も何度も生きることを諦めたはずの私が、こうして生きる道を選んだことに対しても、必ず武器になると。みかんさんは、自分と同じ経験をした子を救うことができると言われたことがある。


私は医者や看護師になって人の命を救う仕事をしたいわけではない。だけど、命を落とそうとしている子供に寄り添って、その子の命と、こころを救うことならしたい。いや、するんだ。


青春時代を地獄のような出来事で埋め尽くされた人生。だけど、私は今幸せを感じることが出来てる。誰かから愛されることを実感できてる。人の温もりを感じることができてる。

私は殻の中から出て、新しい人生を歩んでいる気がしてる。

何のために生きているのか。それは今でも分からない。だけど、私が私で居続けることの意味はわかった気がする。

私は、生きることで、自分が自分で居られている気がする。当たり前すぎて、何を言っているのだろうと思われるかもしれない。

それでも、自分の中では、この答えがはっきりしていた。

後悔する生き方ばかりしてきたけれど、後ろばかりを向くのではなく、前を向いて生きていたい。

私は私らしく、私が私で居続けられるように今を生きるーー