2ページ目〜体罰〜

みかんは、牛乳と白米が苦手なんだよね。

小さい時から特に牛乳を飲むのが無理で、保育園の見学でも1人だけお茶を飲んでた。

幼稚園や小学生の初めらへんの時期では、もったいなかったけど手洗い場で流してた。

白米は、おかずがあれば食べれたけど、白米オンリーのものや、ちょっと堅めの白米が苦手で食べれなかった。

小学1年生のとある時、白米と牛乳をどちらとも残してた私を見かけた先生が、白米と牛乳を混ぜて、無理やり私の口の中に流し込んできたっていう出来事が起きたんだよね。

お昼休憩が終わった後も私は椅子に座ったままで、お昼休憩の後にある掃除時間に行かれなくて、私と同じ掃除場所の女の子が「どうして掃除場所に来なかったの」って泣き出しちゃったの。

それを見かけた先生は「みかんちゃんが来なかったから辛かったよね〜」「ほら、みかんさん謝りなさい」みたいなことを言ってたのが印象に残ってる。

その後にもどして(吐いて)しまって早退したのを覚えてる。

泣きながら家に帰って、親にこのことを話したら、体罰として親が県の教育委員会に電話をした。その後、その先生は担任になることは無く、時期的にその年は他校への異動ができなくて、一年間道徳の先生になって翌年別の学校に異動になったよ〜。

こんなことした先生が道徳の先生してよかったのかは謎だけどね笑

まぁ授業数も少なかっただろうし、あんまり生徒と関わることは無かったと思う。

この出来事はトラウマで、今でももちろん覚えてるし、白米と牛乳が苦手。


苦手•嫌いな食べ物は人間誰しもあると思う。

私は「なんで日本人なのにお米が苦手なんだろ」とか「アレルギーでもないのになんで食べれないんだろ」って自分を責めてた時期があった。

だけど、苦手•嫌いなものが食べれないのはもう仕方のないことだから、無理して食べようとか、私が経験したことみたいに、強制的に食べさせるようなことはしてほしくないし、されてほしくない。



続いて、これは中学3年生の出来事。

私は、中学2年生から3年生の間、不登校になってた時期と別室登校、教室に行ってた時期などなど、いろいろな時期に分けられてる。

別室登校をしていた時期のお話をするね。

朝同じクラスの人たちと会わないように、早朝から学校に来て、保健室で待機、担任が迎えに来て、別室に向かう。こんな流れをしていたんだけど、とある時、校長先生と親友2人も一緒に保健室に来て、校長先生が「さぁ!教室に行きましょう!」って言って私のカバンを勝手に持つ。

私は教室ではなく、別室に向かうのに。

親友は担任に無理やり連れてこられて、私を教室に連れて行くことに協力させられたらしい。

私はカバンを持っていかれようが、先生達に腕を引っ張られようが、絶対教室に行きたくなかった。

私のカバンを持っていった校長先生は教室の廊下に私のカバンを置いてきて、「自分でカバンを取りに行きなさい」って言ってきた。

その時チャイムがなって、親友2人は授業のため教室に、校長先生も自分の部屋に戻る。担任が私のカバンを取りに行ってくれて、そのまま別室に行った。


この出来事は体罰なのか、体罰ではないのか、意見が分かれるかもしれないけれど、私は体罰だと思ってる。

教室という空間に無理やり連れていこうとしたこと、人の私物を勝手に特定の場所に持っていったこと。これが、私はほんとに辛かった。


今回は「体罰」として2つのエピソードを綴ってみたよ〜

まぁ2つとも何年も前の出来事だから、今は思い出さない限りへっちゃらだけど、夜中に思い出したら泣いちゃう笑

最後まで読んでくれた方、ありがとうございます!!

次は不登校、セクハラ、虐待、いじめを全部まとめて話そうかなって思ってるから、結構長文かも笑(内容変更あり)